2012年03月24日
あれから1年
未曾有の東日本大震災からはや1年が経ちました。
群馬に住む私たちは、今では何もなかったかのように
日常生活を過ごしているのではないでしょうか。
群馬に住む私たちは、今では何もなかったかのように
日常生活を過ごしているのではないでしょうか。
南三陸町は、死者行方不明者合わせて845人が犠牲者となりました。
280名の人がまだ見つかっておりません。
処分先が決まらない瓦礫の山々と、車の原形をとどめない赤く錆びた鉄くずの山。
家が密集していた海岸部は見る影も無く、唯一残ったコンクリートの基礎部分には
どの家にも献花が手向けられています。
280名の人がまだ見つかっておりません。
処分先が決まらない瓦礫の山々と、車の原形をとどめない赤く錆びた鉄くずの山。
家が密集していた海岸部は見る影も無く、唯一残ったコンクリートの基礎部分には
どの家にも献花が手向けられています。
住む家をなくした240世帯が「平和の森」仮設住宅へ避難しています。
及川自治会長さんの話は、私たちに対する感謝の言葉から始まりました。
及川自治会長さんの話は、私たちに対する感謝の言葉から始まりました。
どこへ行っても、どこを見ても「全国の皆さん、ご支援ありがとう」の感謝の言葉。
わかめ加工場で元気に働く人々を見ていると、
町に活気が戻る日は近いと確信したのでした。
宮城へ来た目的は3つ。現状を自分の目と耳で確認して、正しく人に伝えること。
被災地の経営者の皆さんとの交流を深めること。
1年経った今、自分に何が出来るかを考える事。
町に活気が戻る日は近いと確信したのでした。
宮城へ来た目的は3つ。現状を自分の目と耳で確認して、正しく人に伝えること。
被災地の経営者の皆さんとの交流を深めること。
1年経った今、自分に何が出来るかを考える事。
「たくさんの人に来て欲しい。そして、美味しい海産物を食べて欲しい。」
「人口が減ってしまったために、加工場で働く人手が足りない。」
「皆さんから受けたご恩は、一生忘れない。本当にありがとう。」
「人口が減ってしまったために、加工場で働く人手が足りない。」
「皆さんから受けたご恩は、一生忘れない。本当にありがとう。」
青く澄んだ海が、静かな波音をたてていました。
Posted by K2 at 16:10│Comments(0)
│父親日記